自分の中心が・・・OKを出すもの

人はなぜ、取り繕っているとわかっていても「滑稽な芝居」を演じてしまうのか?


世の中の〜に乗ってみた方がいいんじゃないか?

〜をやった方が、合理的なんじゃないか?

ココロの声が、いろいろ囁く。

しかし・・・

取り繕っても・・・瞬時に見抜かれる。

本当は、自分が一番よく知っている。

ならば、自分の中心がOKを出すものに、エネルギーと時間を注いでゆけばいい。

シンプルなことを、複雑に考え、一周回ってまた元に戻る。

そんな滑稽な演技をしてしまう自分(人間)。


それもまた、いとおかし・・・。

〜〜〜〜〜

昨日、とあるガッツーーーン体験があり、呆然としてしまった。

客観的に、率直に言ってくださる人がいることは、何て幸せなのだろう。

何も言わなくても・・・見る人は見ている。

等身大の自分から産まれたもの、それを・・・赤ちゃんを育てるように、

大事に大事に育ててゆけばいい。

『呼吸楽 フォトノート』は、そんな存在。

そんな原点に立ち戻ることができた。

「写真×心理学」と書いているが、「文学的」と伝えて頂いた。

確かに・・・

「お品書き」や「写真覚え書き」、

前書き・後書きに替えた手紙、構成や流れ・・・それが全て合わさって初めて、


ひとつの世界観・独自の表現になっているのだろう。

『呼吸楽』はひとつの触媒。

何だか、今までの写真集とはちょっと違う・・・枠におさまらない存在!?

これをきっかけ・叩き台に・・・それぞれの表現が解放に向かいますように。

感謝

2019.6.13


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